働くこと=特別なことではないという発想
「働く」がこわくなる瞬間 ありませんか?
「働くって、自分にはハードルが高い気がする」
「ちゃんと通えないかもしれないし、人間関係も不安…」
障害のあるご本人やご家族、そして支援者・学校・医療機関など、
いろんな立場の人が関わるほど、
“働くこと”がどんどん特別なイベントみたいに見えてしまうことがあります。
朝起きられない
体調やメンタルの波が大きい
人と関わることに疲れやすい
過去の失敗経験が頭から離れない
こうした事情が重なると、
「自分は“普通に働く”なんて無理なんじゃないか」
そんな苦しさを抱えやすくなります。
それでも「働きたい気持ち」は消えていない 🤝
一方で、多くの人のどこかには、こんな想いも眠っています。
「少しでも誰かの役に立ちたい」
「自分にできることがあるならやってみたい」
「家族を安心させたい」
「“働いている自分”に誇りを持ちたい」
支援者やご家族も、
「この子らしい働き方を一緒に見つけたい」
「無理はさせたくないけど、可能性は閉ざしたくない」
と、揺れ動く気持ちを抱えています。
だからこそ、
**“働くこと=特別な人だけが到達できるゴール”**という考え方を、
そろそろ手放してもいいのかもしれません。
「働く=生活の一部」という社会をイメージしてみる 🌈
もし、働くことがもっと“特別じゃないもの”として扱われたら…
社会の見え方は大きく変わります。
週1日・1時間の仕事も、ちゃんと「働いている」と認められる
体調や特性に合わせて、働く時間・場所・内容を柔軟に選べる
学校・家族・医療・福祉・就労支援が、
「この人に合う一歩」を一緒に考えるのが当たり前になる「できないからダメ」ではなく
「どんな条件ならできるか?」という発想が前提になる
フルタイムでキッチリ働く人だけが“社会人”ではない。
それぞれが、自分に合ったペースと方法で
「誰かの役に立つこと」に関わっている。
そんな社会なら、
「働くことは怖いもの」から
「自分にも何かできる場所があるかもしれない」へ、
一人ひとりの感覚が少しずつ変わっていきます。
すでにある「小さな働く」を見つけていく 🔍
“働くこと=特別なことじゃない”と考えるとき、
ヒントになるのは日常の中の行動です。
家でのお手伝い(ゴミ出し、片付け、料理の手伝い など)
学校や作業所での係活動や当番
趣味で続けている作業(イラスト、ゲームのデータ整理、手芸など)
誰かに「ありがとう」と言われた経験
これらは、
**「自分の行動が誰かの役に立った」**という点で、
すでに“働く”の原型になっています。
いきなり
「週5日・8時間働けるかどうか」で判断するのではなく、
今の生活の中にある「小さな働く」を一緒に見つけて
そこから少しずつ“仕事”に近づけていく。
このスモールステップの発想こそが、
働くことを特別なものではなく、生活の延長線として捉えるカギになります。
関係機関みんなで変えていきたい視点 🧩
このテーマは、誰か一人ではなく、
家族・学校・医療・相談支援・福祉・企業が
“横断して”関わるからこそ意味があります。
それぞれの立場で、こんな視点を持てると良さそうです。
家族・保護者
「いつかちゃんと働けるように」ではなく
👉「今できていることも立派な一歩」と認めて声に出して伝える働ける/働けないで判断する前に、
👉その人の“得意な瞬間”や“楽しそうな瞬間”を一緒に振り返ってみる
学校・支援者・相談支援・医療
「就職(復職)できる/できない」をゴールにしすぎず
👉「働く原体験」を積み重ねる機会を一緒に設計する支援会議やケース会議で、
👉“生活の中にある小さな働く”を共有する時間をつくる
就労支援・企業側
「即戦力かどうか」だけで見ない
👉条件を調整すれば活躍できる可能性を一緒に探る業務の切り出しや環境調整を、
👉“特別な配慮”ではなく“チームの工夫”として捉え直す
今日からできる「一歩」を決めてみる 🚶♂️
最後に、読んでくださっているあなたが
**今日からできる“具体的な一歩”**を提案します。
「ありがとう」と言われた経験を、本人・家族・支援者で一緒に3つ挙げてみる
支援会議や面談で、
「この1ヶ月で、その人が“誰かの役に立った瞬間”は?」
をテーマに3分だけ時間をとってみる「働けるかどうか」ではなく、
「どんな形なら、その人らしく役に立てそうか?」
という問いを、一度だけでも口に出してみる
働くこと=特別なことではない。
その一歩は、
「考え方を少し変えてみる」「今ある芽を言葉にして認めてみる」
そんな小さなところから始められます。